与动物相关的中日谚语比较

来源:工作总结 发布时间:2016-11-02 点击:

与动物相关的中日谚语比较篇一

由动物谚语看中日文化差异的差异

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由动物谚语看中日文化差异的差异

作者:荣桂艳

来源:《科教导刊·电子版》2015年第15期

摘 要 谚语是人民大众生活经验的积累与总结,是集体智慧的结晶。文化是一种历史现象,它是社会历史的积淀物,语言就象一面镜子,反映了该国的文化,由于中日两国所处的地理位置,自然环境,历史条件不同,在谚语中使用的动物也不同,它体现了中日两国不同的文化差异。

关键词 动物 谚语 中日文化差异 映射

1引言

谚语是人们根据自己长期的生活经验创造出来的,并经过大众传诵,锤炼,完善而流传于世的,是集体智慧的结晶,是语言文化宝库中的瑰宝。自古以来中日两国有着密切的文化交流,在悠久的交流历史中,很多中国文化流传到日本,谚语也作为中国文化的精髓随之流传到了日本。因此,中日两国有很多相同、相似的谚语。但由于两国的社会环境,风土人情等不同,许多谚语在表达方式上也有所不同。日本特有的文化也孕育出了很多独自的谚语,这样日本又有自己不同的谚语。汉语和日语中都存在着大量与动物有关的谚语,它们是人类文化的全景速写,可以从中看出该国的历史、传统、风土、人情等。笔者从中日两国谚语中挑选出一些相同或相似的有关动物的谚语来比较和分析各自的意义及表达方式,从中分析出中日两国的文化差异。

2中日谚语中动物的使用偏好

这里的使用偏好,指的是在不同的民族文化圈中,通过动物来表达生活经验、事物道理时在谚语中的具体使用情况。

2.1 虎

在中国虎一向是猛兽的代表,被奉为百兽之王,“虎”常被描述成“壮哉于兔豪且雄,猛气不与凡兽同。吞牛伏豹爪牙利,空谷一啸来天风”的“虎大王”。自古以来,有关虎的成语,谚语就一直丰富着人们的语言生活,在中国谚语中,虎常和狼连用,两者都是凶狠,残暴的形象,用作比喻强大,凶恶的势力。如“蜂蚁也有君臣,虎狼也有父子”。“人可以和虎狼搏斗,却无法和苍蝇争吵。”还有“前怕狼,后怕虎,一事无成白辛苦”。而在日语谚语中,虎常和鼠连用,虎作为威猛强大,鼠作为胆小无力的形象代表,两者常作为强弱势力的对比双方在谚语中出现。举例如下:

(1)虎鼠となる // 虎沦为鼠 虎落平阳。

与动物相关的中日谚语比较篇二

中日谚语中动物形象的比较

谚语是一个民族集体智慧的结晶,是语言的精华.学习和研究谚语可以帮助我们了解一个民族的历史文化和风俗习惯.中国和日本文化交流的历史源远流长,但由于两国所处环境、历史背景、文化背景、宗教信仰、生活习惯以及思维方式的不同,使谚语具有浓厚的民族特色.本文试图通过对中日谚语的比较,希望能对增进中日两国文化的了解起到积极的促进作用. 关键词: 谚语, 比较, 异同, |

{与动物相关的中日谚语比较}.

谚语是人们长期生活经验的总结和智慧的结晶,从一个侧面,在一定程度上反映一个民族的社会生活和精神世界。通过对谚语的研究,可以了解一个民族的生活方式、地理环境、社会历史及审美情趣等。中日两国的谚语中,都有许多和动物相关的内容,它们生动地体现了人类的思想观念和感情喜好。本文通过粗略的统计,找出两国谚语中出现频率较多的动物,探究其中的原因所在,其次是探究两国在通过动物来表达生活经验、事物道理时所具有的使用特点,最后比较同一种动物在两国谚语中,人们对它们的感情色彩和评价是否一致,从而更好地了解中日两国谚语中对动物的使用偏好和动物形象,达到更好地掌握和使用两国谚语的目的。 1 中日谚语中最常出现的动物

笔者通过对浙江古籍出版社2006年版的《新编谚语大全》的统计,整理出了该书所收录的近8000条中文谚语中动物所出现的频率。另外,日语方面统计了2002年9月上海译文出版社《新日汉成语谚语词典》所收录的8000条左右的谚语中动物出现的频率。

从上文表中的统计结果可以看出,马作为与古代人们日常生活息息相关的动物,特别是作为出行方面重要的交通工具,在谚语中最常出现。许多生活智慧和人生道理通过马来表达,这一点上中日两国都是如此,甚至在数量上也非常接近。

与动物相关的中日谚语比较篇三

中日谚语比较

53

日本人と中国人の世間観―─諺に見られる

言語表現からの検証と考察─―

黄 欣

0.はじめに

一般に、言語表現の上から、その言語を使用する民族集団の文化的特色を見 て取ることができる。特に、日常生活から生まれ、民衆の知恵の結晶として使 われてきた諺は、各民族それぞれの伝統的な物の見方・考え方を濃厚に反映し ている。元来、諺は民衆の知恵の総合とも言うべきものであることから、異な った民族の諺でも、形式から内容まで共通性をもっているものもあるが、諺は 各民族の民衆によって作り出されたものであり、各民族の歴史、地理環境、生 産活動および人々の生活習慣、思考の方式などに差異があるため、各民族の自 然観、世間観、人生観などの面にその民族固有の特性、文化の特色が見られ、 諺にそれが反映されている。本稿では、日本と中国の諺を分析し、諺に見られる

言語表現の上から両国の人々の世間観の特徴を検証し、考察していく。

なお、本稿では主として日本の諺をもとに、それと対応する中国の諺を取り 上げて比較するが、中国の諺の中でも漢民族の諺を、また特に、両国でも一般 の民衆たちによく知られ、生活の中でよく使われている諺を取り上げる。同時 に、日本と中国それぞれの独自の諺も考察の対象とする。

1.諺について

1.1. 日本の諺の定義

{与动物相关的中日谚语比较}.

諺の定義については、藤沢(1960)によれば、日本の諺には広義と狭義の二 種類の定義があるとし、「広義とは、どんなことばでも、一定の形をとって、俗

間に伝唱されれば、みなことわざである」1 としている。藤沢によれば、日本語

の慣用句、歌謡、なぞは、すべて諺ということになり、「ただ一つの形容詞であ

っても、それが一定の形をとって、常にある種のことがらを形容するものとし て知られていけば、それはすでにことわざである」2 とまで述べている。 54 黄 欣

狭義の諺について藤沢は、「ある種類の教訓、警戒、風刺、またはその他の視 察経験による知識をいいあらわしたものである」3 としている。これについて、 金子(1969)は次のように説明している。{与动物相关的中日谚语比较}.

ことわざは……民衆の中からいわばおのずから生まれ出たものである。… …民衆がその体験によってみずから得た教訓なのである。……いわば、民 衆同士が肩を叩いての忠言、助言である。4

ことわざは、民衆がその実際生活の体験の中から、人間や人生に対する{与动物相关的中日谚语比较}.

批評として生み出したものであり、また逆に、人間や人生を批評する場合 にも用いられるものである。5

すなわち、諺は民衆により作り出された教訓であり、民衆同士の間の忠誡のこ とばであるが、この点について金丸(1983)は、「ことわざは、日常経験から生

まれた民衆の知恵の結晶であり、民衆の行動の指針と言えます」6 と述べている。

1.2. 中国の諺(Ñ 栌)の定義

中国では、諺は一般に“ ”とか“ ”とか、あるいは“ ”とか呼ばれ

ている。近代になって、中国の諺にも広義の定義と狭義の定義がある。広義の 諺とは、人々の話し言葉に広く伝わっている俚諺、俗語のすべてを指すという 見解であり、慣用語、歇後語などをもそれに含まれる。狭義の諺については、 近代では多くの先行研究で郭紹虞の定義が採用されてきている。郭(1948)は、 諺とは、人間の実際の経験の結果であり、美しい語彙を用いて表現され、 日常会話で、自由に使われて、人間の行為を規定する言語である。7

と定義している。80 年代に入ると、狭義の諺の定義について、いくつかの見解

が現われた。

武占坤、馬国凡(1983)は、

, , ,

, “ ”。8(諺と

は、だれにも分かりやすく簡潔で、生き生きとした韻文または短文である。 諺は、一般に口語の表現形式によって民間に広く用いられ伝えられるもの で、民衆が生活上の体験や感動を表現する一種の「既成語」である。) 日本人と中国人の世間観 55

と定義し、そして唐啓運(1981)は、

, 。9(諺

とは、熟語の一種であり、民衆の間で話し言葉として広く流布している固 定的な既成語である。)

, ……

。10(諺は、民衆の知恵の結晶であり……さまざまな経験が簡潔に、 力強く総括されたものである。)

と解釈している。これらの定義に共通していることは、諺が民衆の実際の体験 を総括したものであって、体験を伝えることを目的としているという点である。

また、温端政は、「ことわざには、もう一つ別の働きがある。それは、客観的な

事柄についての認識を伝えるという役割である」11 と述べている。

以上から、中国語において諺( )は、民衆によって作り出され、民衆の

知恵、経験、認識を広く伝え、比較的固定的であって、簡潔で口語性の強い話 し言葉であると定義することができよう。

1.3. 両国の諺の定義における共通点

両国の諺の共通点をまとめてみると、次のようになる。

① 特定の作者がなく、民衆に作り出され、経験や認識を伝えるものである

こと。

② 古くから口伝えによって伝えられてきて、継承されてきたものであるこ と。

③ 簡潔で通俗的であり、口語性が強いものであること。

④ 比較的定形性を有すること。ただし、その定形性は相対的なものであり、 構造上かなりの融通性があること。

⑤ 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多いこと。 1.4. 諺と世間観との関わり

以上述べたように、日中両国において、諺の定義には共通点が多く存在して いる。諺は社会に生活する多くの人々の共通感覚として、名も知れない民衆に より作り出され、多くの人々に用いられてきている。諺には人々が自然や社会 的実践から得た経験や認識を表わすものが多いので、諺を分析することによっ 56 黄 欣

て、自然や社会に対する人々の見方・考え方が窺い知れる。加えて、諺はその 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多く、その民族特有の民 族性が濃厚に反映していることによって、日本と中国の諺から両国の人々に特 有の世間観も窺い知ることができよう。

2.世間観について

人間と社会の関係について、四つの議論があると指摘されている。すなわち、 ①社会は個人の集合体であるが、個人は社会より重要な単位であると考える個 人主体論、②社会は個人の総合以上のものであると考える社会有機体論、③個 人と社会は互いに関係し合うと考える個人社会相互論、④個人と社会は対立す る概念ではなく結局は同じもの、あるいは次元の異なるものとして対置すると 考える融合論の四つである。12

2.1. 日本人の世間観

穴田(1982)は、個人と社会について日本人は、「社会は個人の総合以上のも のであるという社会有機体説のように、極端ではないにしろ、社会優位の行動 傾向を有する国民であるとされている」13 と指摘している。この日本人特有の 世間観が、諺にどのように反映されているのかについて検証してみよう。 例えば日本の諺には、次のようなものがある:

壁に耳あり障子に目あり

旅の恥はかき捨て

あとは野となれ山となれ

これらの諺からは日本人の社会に対する見方や考え方が窺い知れる。すなわち、

「壁に耳あり障子に目あり」は、日本人は行動するときに、いつも他人あるい は社会が自分をどう見ているか、社会にどう思われているかということが気に なり、自分の行動が他人の目に左右されることがあるが、ここで言う「他人」 とは身近にかかわりのある「他人」のことである。だからこそ、身近にかかわ りのある「他人」の範囲を超えた他人や社会に対しては、「旅の恥はかき捨て」 や「あとは野となれ山となれ」となるのである。

文化人類学者ルース・ベネディクトは、文化には「罪の文化」と「恥の文化」{与动物相关的中日谚语比较}.{与动物相关的中日谚语比较}.

の二つのパターンがあるとし、その書『菊と刀』において、日本文化について 日本人と中国人の世間観 57

言及し、結論として日本文化は「恥の文化」の代表であるとしている。この知 見は、現在ほぼ定着している。ベネディクトが指摘したように、日本人は行動 の根幹に常に身近にかかわりのある他人を意識し、その他人に対して恥かしい という意識が行動を起させたり止めさせたりするのである。日本人が罪の意識 よりも恥の意識を重視するのは、武士階級成立以来の伝統と幼児期から恥を強 調する教育を続けてきたためとベネディクトは見ている。この「恥」に関する 諺は、日本には相当数ある。例えば、

恥は家の病

恥の上塗り{与动物相关的中日谚语比较}.

仰いで天に恥じず

言わぬ心に恥じよ

恥を言わねば理が聞こえぬ

恥を知らねば恥かかず

恥を知る者は恥かかず

聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

などは、いずれも「恥」に関する日本人の考え方を表わしており、日本人の心 性の中には身近のかかわりのある他人に対する「恥を恐れる」という心理が根 深く存在していることが分かる。上にあげた諺のほかにも、次のようなものが ある:

石橋を叩いて渡る

「石で作られた橋であっても叩いて、大丈夫だと確かめてから渡る」という 意味である。はたから見ると滑稽な感じがするが、すべての物事に対する日本 人の用心深さがみごとに表現されている。これはやはり上に述べたように、日 本人は恥を恐れ、常に他人の目が気になり、他人に笑われないように行動する という特性がよく現われている。日本人の国民性とも思われる恥を恐れる心理 はまたいくつかの諺から見てとることができる。例えば、

転ばぬ先の杖

濡れぬ先の傘

念には念を入れ

などのようなものがそれである。

58 黄 欣

そして、社会全体を見れば、日本人は、

渡る世間に鬼はない

という世間観をもっている。すなわち、冷たいように見えても、人の情という ものはあるものである。このような楽天的な世間観は、日本の自然環境と歴史 環境に由来するものと考えられる。

日本は地理的な環境によって、古くから豊かな自然条件に恵まれてきた。周 囲を海で囲まれ、気候は海洋性気候であり、温暖、湿潤がその特徴である。こ のような気候条件は生業にすぐれた条件を与えてきた。恵まれた自然環境のも とで暮らしてきた日本人が自然に対して、自然はそのままが一番美しいとする のは当然のことであり、世間に対しても、世間には悪いことはなく、悪い人は いないと認識するのである。そして、地理的に周囲を海で囲まれ、世界から隔

てられている自然の条件によって、日本は異民族による軍事的な侵略、政治的 な支配はほとんど受けてきていない。単一民族が一つの島国に居住し、鎖国や 長い封建制度によって、社会は比較的安定していた。このことからこの日本人 独特の世間観を表わす諺が産み出されてきたのであろう。言うまでもなく、「渡 る世間に鬼はない」とは正反対に、

{与动物相关的中日谚语比较}.

渡る世間は鬼ばかり

という諺もあるが、それは、世間は常に変化しつつあるものであって、よい面 だけでなく、悪い面もあるという認識が反映されている。

また、日本には次のような諺もある:

言わぬが花

見ぬが仏聞かぬが花

見ざる聞かざる言わざる

これらの諺から日本人はストレートな伝達をできるだけ避け、腹芸や以心伝心 というように非理論的な読みを重要視する志向性がうかがわれる。すなわち、 日本人の好みの中に「以心伝心」があり、あまり口数多くしゃべるのをよしと しない価値観がある。黙っていても自ら心が通じ理解し合えることが日本人の 理想なのである。

以上のほか、日本の諺には、「うそ」に関するものも尐なくない。うそは悪い 日本人と中国人の世間観 59

ものであるが、場合によって方便ともなる。方便とは仏教で衆生を教え導くた めの手段のことであるが、

うそつきは泥棒の始まり

というように、うそは偽りの最も有用な手段であり、うそをつかない習慣を養 わなければ、盗みをする恐れがあるという警告である。その一方で、 うそも方便

とか、

うそは世の宝

というように、うそをつくのはよくないが、物事が円滑に遂行していくために はうそをつくことも必要であるという、うその功能を説いている。 2.2. 中国人の世間観

一方、中国人は伝統を重んじる国民であるが、伝統主義は保守主義に転化し やすい。中国人は絶えず社会や経済生活に調和を見出そうとし、もっとも安全 でかつ持続性のある自己保全の方法を求める。このことによって、 , (世の中のことは冷静であってはじめてわかり、人

情は淡白であってはじめて長続きする)

(大樹のそばを離れなければ、焚く薪に困らない)

, (人への便宜は自分への便宜)

というような諺が産み出されることとなったのであろう。そして、中国人は長 い歴史の中で、社会なるものを見てきた結果、

, (世情は冷暖を見、人面は高低を逐う)

のような冷たい世間への感慨や、「世間」と「人情」をどのように把握するのか

ということについての指針が諺によって示されてきている。また、世の中で生 活していくためには、

与动物相关的中日谚语比较篇四

中日谚语对比研究

中日谚语对比研究

刘晶

【摘要】: 语言与文化有着密切的关系。任何语言都不能脱离文化而独立存在。作为语言表现形式之一的谚语更是其民族文化的写照,同时也是人民群众在日常生活经验中总结出来的智慧的结晶。其中蕴含着该民族固有的价值观和人生哲理。 中国与日本隔海相望,在文化等诸方面都互相影响。众所周知,随着汉字和儒学传入日本,许多的中国谚语也随之传入,但是,通过查阅日语辞典及对日本人使用的谚语的调查来看,由日本人自己创所作的谚语仍然占据着绝对的优势。因此,对于中日两国人民所使用的谚语,特别是中日非同源谚语,我产生了浓厚的兴趣。在本文中,我决定对中日非同源谚语进行研究。主要对在音声、句子结构变化、表达方式、语用论及修辞手法方面的中日谚语的特征及谚语中所蕴含的文化对各自国家的谚语有着怎样的影响进行了以下分析研究。 第一章中,首先明确了本论文的研究目的、意义、对象、方法后,总结相关先行研究,并对本论文进行了明确的定位。迄今为止,关于谚语的研究多限于以表面形式为重点,只比较外观的异同以及对意义与语用的比较的论文,而对于中日同源与非同源谚语的研究还不多。因此,本论文将从广义角度考查中日非同源谚语的比较研究。 在第二章中,对中日谚语分别与惯用句、成语和格言进行了区分,并对中日谚语的诞生和传承进行了阐述。 在第三章中,首先对中日同源谚语从发音、形式结构和语用方面,在传入日本后进行的改造进行了简单的分析,并探讨了其变化的原因。并且,本文对中日非同源谚语从语源、发音、句子结构变化、语用论以及修辞几个方面进行了详细的分析,特别对中日谚语所蕴含的文化因素做了对比研究。 第四章是对本论文的综合性考察,总结了研究成果并得出结论。中日两国谚语在自然环境、宗教、思维习惯、世界观及心理认知的影响下,产生了各自与众不同的谚语。希望以上研究对于今后的谚语研究具有理论意义及价值。

【关键词】:中日对比 谚语 非同源 文化

【学位授予单位】:大连海事大学

【学位级别】:硕士

【学位授予年份】:2009

【分类号】:H136;H36

【DOI】:CNKI:CDMD:2.2009.107532

【目录】:

 摘要5-6 要旨6-10 第一章 序論10-15 1.1 研究の目的と意義10-11 1.2 研究方法と对象11 1.3 先行研究及び本論の位置づけ11-15 1.3.1 中国語の諺についての先行研究11-12 1.3.2 日本語の諺についての先行研究12 1.3.3 中日の諺についての对照の先行研究12-13

                                  1.3.4 先行研究の不足と本論の位置づけ13-15 第二章 諺の誕生と伝承15-27 2.1 諺と慣用句、成語、格言についての限定15-19 2.1.1 中国語の諺についての定義15-16 2.1.2 中国語の諺と慣用句、成語、格言についての限定16-17 2.1.3 日本語の諺についての定義17-18 2.1.4 日本語の諺と慣用句、成語、格言についての限定18-19 2.2 中日の諺の誕生と伝承19-27 2.2.1 中国語の諺の誕生と伝承19-22 2.2.2 中国語の諺の特徵と分類22-23 2.2.3 日本語の諺の誕生と伝承23-24 2.2.4 日本語の諺の特徵と分類24-26 2.2.5 まとめ26-27 第三章 中日の諺についての对照27-62 3.1 中日同源の諺27-32 3.1.1 語源から27 3.1.2 日本に伝えられ後の改造27-30 3.1.3 日本に伝えられ後の変化の原因30-32 3.2 中日非同源の諺32-62 3.2.1 語源から32-34 3.2.2 音声による差異34-39 3.2.3 文の流動性による差異39-41 3.2.4 表現方式による差異41 3.2.5 意味論上による差異41-43 3.2.6 修辞学の運用による差異43-49 3.2.7 中日非同源の諺による社会文化49-62 第四章 結論と今後の課題62-66 4.1 研究のまとめ62-64 4.2 今後の課題64-66 注66-68 参考文献68-71 論文発表71-72 謝辞72-73 研究生履歷73

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