中日动物谚语

来源:热门资讯 发布时间:2017-11-28 点击:

中日动物谚语篇一

中日谚语比较

53

日本人と中国人の世間観―─諺に見られる

言語表現からの検証と考察─―

黄 欣

0.はじめに

一般に、言語表現の上から、その言語を使用する民族集団の文化的特色を見 て取ることができる。特に、日常生活から生まれ、民衆の知恵の結晶として使 われてきた諺は、各民族それぞれの伝統的な物の見方・考え方を濃厚に反映し ている。元来、諺は民衆の知恵の総合とも言うべきものであることから、異な った民族の諺でも、形式から内容まで共通性をもっているものもあるが、諺は 各民族の民衆によって作り出されたものであり、各民族の歴史、地理環境、生 産活動および人々の生活習慣、思考の方式などに差異があるため、各民族の自 然観、世間観、人生観などの面にその民族固有の特性、文化の特色が見られ、 諺にそれが反映されている。本稿では、日本と中国の諺を分析し、諺に見られる

言語表現の上から両国の人々の世間観の特徴を検証し、考察していく。

なお、本稿では主として日本の諺をもとに、それと対応する中国の諺を取り 上げて比較するが、中国の諺の中でも漢民族の諺を、また特に、両国でも一般 の民衆たちによく知られ、生活の中でよく使われている諺を取り上げる。同時 に、日本と中国それぞれの独自の諺も考察の対象とする。

1.諺について

1.1. 日本の諺の定義

諺の定義については、藤沢(1960)によれば、日本の諺には広義と狭義の二 種類の定義があるとし、「広義とは、どんなことばでも、一定の形をとって、俗

間に伝唱されれば、みなことわざである」1 としている。藤沢によれば、日本語

の慣用句、歌謡、なぞは、すべて諺ということになり、「ただ一つの形容詞であ

っても、それが一定の形をとって、常にある種のことがらを形容するものとし て知られていけば、それはすでにことわざである」2 とまで述べている。 54 黄 欣

狭義の諺について藤沢は、「ある種類の教訓、警戒、風刺、またはその他の視 察経験による知識をいいあらわしたものである」3 としている。これについて、 金子(1969)は次のように説明している。

ことわざは……民衆の中からいわばおのずから生まれ出たものである。… …民衆がその体験によってみずから得た教訓なのである。……いわば、民 衆同士が肩を叩いての忠言、助言である。4

ことわざは、民衆がその実際生活の体験の中から、人間や人生に対する

批評として生み出したものであり、また逆に、人間や人生を批評する場合 にも用いられるものである。5

すなわち、諺は民衆により作り出された教訓であり、民衆同士の間の忠誡のこ とばであるが、この点について金丸(1983)は、「ことわざは、日常経験から生

まれた民衆の知恵の結晶であり、民衆の行動の指針と言えます」6 と述べている。

1.2. 中国の諺(Ñ 栌)の定義

中国では、諺は一般に“ ”とか“ ”とか、あるいは“ ”とか呼ばれ

ている。近代になって、中国の諺にも広義の定義と狭義の定義がある。広義の 諺とは、人々の話し言葉に広く伝わっている俚諺、俗語のすべてを指すという 見解であり、慣用語、歇後語などをもそれに含まれる。狭義の諺については、 近代では多くの先行研究で郭紹虞の定義が採用されてきている。郭(1948)は、 諺とは、人間の実際の経験の結果であり、美しい語彙を用いて表現され、 日常会話で、自由に使われて、人間の行為を規定する言語である。7

と定義している。80 年代に入ると、狭義の諺の定義について、いくつかの見解

が現われた。

武占坤、馬国凡(1983)は、

, , ,

, “ ”。8(諺と

は、だれにも分かりやすく簡潔で、生き生きとした韻文または短文である。 諺は、一般に口語の表現形式によって民間に広く用いられ伝えられるもの で、民衆が生活上の体験や感動を表現する一種の「既成語」である。) 日本人と中国人の世間観 55

と定義し、そして唐啓運(1981)は、

, 。9(諺

とは、熟語の一種であり、民衆の間で話し言葉として広く流布している固 定的な既成語である。)

, ……

。10(諺は、民衆の知恵の結晶であり……さまざまな経験が簡潔に、 力強く総括されたものである。)

と解釈している。これらの定義に共通していることは、諺が民衆の実際の体験 を総括したものであって、体験を伝えることを目的としているという点である。

また、温端政は、「ことわざには、もう一つ別の働きがある。それは、客観的な

事柄についての認識を伝えるという役割である」11 と述べている。

以上から、中国語において諺( )は、民衆によって作り出され、民衆の

知恵、経験、認識を広く伝え、比較的固定的であって、簡潔で口語性の強い話 し言葉であると定義することができよう。

1.3. 両国の諺の定義における共通点{中日动物谚语}.

両国の諺の共通点をまとめてみると、次のようになる。

① 特定の作者がなく、民衆に作り出され、経験や認識を伝えるものである

こと。

② 古くから口伝えによって伝えられてきて、継承されてきたものであるこ と。

③ 簡潔で通俗的であり、口語性が強いものであること。

④ 比較的定形性を有すること。ただし、その定形性は相対的なものであり、 構造上かなりの融通性があること。

⑤ 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多いこと。 1.4. 諺と世間観との関わり

以上述べたように、日中両国において、諺の定義には共通点が多く存在して いる。諺は社会に生活する多くの人々の共通感覚として、名も知れない民衆に より作り出され、多くの人々に用いられてきている。諺には人々が自然や社会 的実践から得た経験や認識を表わすものが多いので、諺を分析することによっ 56 黄 欣

て、自然や社会に対する人々の見方・考え方が窺い知れる。加えて、諺はその 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多く、その民族特有の民 族性が濃厚に反映していることによって、日本と中国の諺から両国の人々に特 有の世間観も窺い知ることができよう。

2.世間観について

人間と社会の関係について、四つの議論があると指摘されている。すなわち、 ①社会は個人の集合体であるが、個人は社会より重要な単位であると考える個 人主体論、②社会は個人の総合以上のものであると考える社会有機体論、③個 人と社会は互いに関係し合うと考える個人社会相互論、④個人と社会は対立す る概念ではなく結局は同じもの、あるいは次元の異なるものとして対置すると 考える融合論の四つである。12{中日动物谚语}.

2.1. 日本人の世間観

穴田(1982)は、個人と社会について日本人は、「社会は個人の総合以上のも のであるという社会有機体説のように、極端ではないにしろ、社会優位の行動 傾向を有する国民であるとされている」13 と指摘している。この日本人特有の 世間観が、諺にどのように反映されているのかについて検証してみよう。 例えば日本の諺には、次のようなものがある:

壁に耳あり障子に目あり

旅の恥はかき捨て

あとは野となれ山となれ

これらの諺からは日本人の社会に対する見方や考え方が窺い知れる。すなわち、

「壁に耳あり障子に目あり」は、日本人は行動するときに、いつも他人あるい は社会が自分をどう見ているか、社会にどう思われているかということが気に なり、自分の行動が他人の目に左右されることがあるが、ここで言う「他人」 とは身近にかかわりのある「他人」のことである。だからこそ、身近にかかわ りのある「他人」の範囲を超えた他人や社会に対しては、「旅の恥はかき捨て」 や「あとは野となれ山となれ」となるのである。

文化人類学者ルース・ベネディクトは、文化には「罪の文化」と「恥の文化」

の二つのパターンがあるとし、その書『菊と刀』において、日本文化について 日本人と中国人の世間観 57

言及し、結論として日本文化は「恥の文化」の代表であるとしている。この知 見は、現在ほぼ定着している。ベネディクトが指摘したように、日本人は行動 の根幹に常に身近にかかわりのある他人を意識し、その他人に対して恥かしい という意識が行動を起させたり止めさせたりするのである。日本人が罪の意識 よりも恥の意識を重視するのは、武士階級成立以来の伝統と幼児期から恥を強 調する教育を続けてきたためとベネディクトは見ている。この「恥」に関する 諺は、日本には相当数ある。例えば、

恥は家の病

恥の上塗り

仰いで天に恥じず

言わぬ心に恥じよ

恥を言わねば理が聞こえぬ

恥を知らねば恥かかず

恥を知る者は恥かかず

聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

などは、いずれも「恥」に関する日本人の考え方を表わしており、日本人の心 性の中には身近のかかわりのある他人に対する「恥を恐れる」という心理が根 深く存在していることが分かる。上にあげた諺のほかにも、次のようなものが ある:

石橋を叩いて渡る

「石で作られた橋であっても叩いて、大丈夫だと確かめてから渡る」という 意味である。はたから見ると滑稽な感じがするが、すべての物事に対する日本 人の用心深さがみごとに表現されている。これはやはり上に述べたように、日 本人は恥を恐れ、常に他人の目が気になり、他人に笑われないように行動する という特性がよく現われている。日本人の国民性とも思われる恥を恐れる心理 はまたいくつかの諺から見てとることができる。例えば、

転ばぬ先の杖

濡れぬ先の傘

念には念を入れ

などのようなものがそれである。

58 黄 欣

そして、社会全体を見れば、日本人は、

渡る世間に鬼はない

という世間観をもっている。すなわち、冷たいように見えても、人の情という ものはあるものである。このような楽天的な世間観は、日本の自然環境と歴史 環境に由来するものと考えられる。

日本は地理的な環境によって、古くから豊かな自然条件に恵まれてきた。周 囲を海で囲まれ、気候は海洋性気候であり、温暖、湿潤がその特徴である。こ のような気候条件は生業にすぐれた条件を与えてきた。恵まれた自然環境のも とで暮らしてきた日本人が自然に対して、自然はそのままが一番美しいとする のは当然のことであり、世間に対しても、世間には悪いことはなく、悪い人は いないと認識するのである。そして、地理的に周囲を海で囲まれ、世界から隔

てられている自然の条件によって、日本は異民族による軍事的な侵略、政治的 な支配はほとんど受けてきていない。単一民族が一つの島国に居住し、鎖国や 長い封建制度によって、社会は比較的安定していた。このことからこの日本人 独特の世間観を表わす諺が産み出されてきたのであろう。言うまでもなく、「渡 る世間に鬼はない」とは正反対に、

渡る世間は鬼ばかり

{中日动物谚语}.

という諺もあるが、それは、世間は常に変化しつつあるものであって、よい面 だけでなく、悪い面もあるという認識が反映されている。

また、日本には次のような諺もある:

言わぬが花

見ぬが仏聞かぬが花

見ざる聞かざる言わざる

これらの諺から日本人はストレートな伝達をできるだけ避け、腹芸や以心伝心 というように非理論的な読みを重要視する志向性がうかがわれる。すなわち、 日本人の好みの中に「以心伝心」があり、あまり口数多くしゃべるのをよしと しない価値観がある。黙っていても自ら心が通じ理解し合えることが日本人の 理想なのである。

以上のほか、日本の諺には、「うそ」に関するものも尐なくない。うそは悪い 日本人と中国人の世間観 59

ものであるが、場合によって方便ともなる。方便とは仏教で衆生を教え導くた めの手段のことであるが、

うそつきは泥棒の始まり

というように、うそは偽りの最も有用な手段であり、うそをつかない習慣を養 わなければ、盗みをする恐れがあるという警告である。その一方で、 うそも方便

とか、

うそは世の宝

というように、うそをつくのはよくないが、物事が円滑に遂行していくために はうそをつくことも必要であるという、うその功能を説いている。 2.2. 中国人の世間観

一方、中国人は伝統を重んじる国民であるが、伝統主義は保守主義に転化し やすい。中国人は絶えず社会や経済生活に調和を見出そうとし、もっとも安全 でかつ持続性のある自己保全の方法を求める。このことによって、 , (世の中のことは冷静であってはじめてわかり、人

情は淡白であってはじめて長続きする)

(大樹のそばを離れなければ、焚く薪に困らない)

, (人への便宜は自分への便宜)

というような諺が産み出されることとなったのであろう。そして、中国人は長 い歴史の中で、社会なるものを見てきた結果、

, (世情は冷暖を見、人面は高低を逐う)

のような冷たい世間への感慨や、「世間」と「人情」をどのように把握するのか

ということについての指針が諺によって示されてきている。また、世の中で生 活していくためには、

中日动物谚语篇二

中日对照谚语50条

1.“百闻不如一见”----「百闻は一见に如かず」(ひゃくぶんはいっけん にしかず)

2.“歪打正着”----「怪我の功名」(けがのこうみょう)

3.“青出于蓝而胜于蓝”----「青は蓝より出でて蓝より青し」(あおはあいよりいでてあいよりあおし)

4.“垂头丧气”----「青菜に塩」(あおなにしお)

5.:“光阴似箭”---「光阴矢の如し」(こういんやのごとし)

6.“一年之计在于春”---「一年の计は元旦にあり」(いちねんのけいはがんたんにあり){中日动物谚语}.

7.“滴水穿石”---「雨だれ石を穿つ」(あまだれいしをうがつ)

8.:“功到自然成”---「石の上にも三年〕(いしのうえにもさんねん)

9.“满瓶不响,半瓶叮当”---「空き樽は音高し」(あきだるはおとたかし)

10.“火烧眉毛”---「足下に火がつく」(あしもとにひがつく)

11.“只知其一,不知其二。”------「一を知り二を知らず」 (いちをしりてにをしらず)

11.“一叶落知天下秋。” ------ 「 一叶落ちて天 下の秋を知る」 (いちようおちててんかのあきをしる)

12.“一年之计在于春” ------ 「 一年の计は元旦にあり」 (いちねんのけいはがんたんにあり)

13.“马后炮”------「後の祭り」(あとのまつり)“事后搞庆祝活动”

14.“八九不离十”------「当たらずといえども远からず」(あたらずともいえどもとおからず)

15.“昙花一现”------「朝颜の花一时」(あさがおのはないちじ)

16.“岁月不待人”----「歳月人を待たず」(さいげつひとをまたず)

17.“养子方知父母恩”----「子をもって知る亲の恩」(こをもってしるおやのおん)

18.“知子莫若父”----「子を知ること父に如くはなく」(こをしることちちにしくはなく)

19.“未雨绸缪”----「転ばぬ先の杖」(ころばぬさきのつえ)

20.“聪明反被聪明误”----「策士策に溺れる」(さくしさくにおぼれる)

21.“多一事不如少一事”----「触らぬ神に祟りなし」(さわらぬかみにたたりなし)

22.“千里之堤溃于蚁穴”----「千里の堤も蚁の穴から。」(せんりのつつみもありのあなから)

23.“条条道路通罗马”----「すべての道はローマに通ず。」(すべてのみちはローマにつうず)

24.“脍炙人口”----「人口に脍炙する」(じんこうにかいしゃする)

25.“笑里藏刀”----「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり)

{中日动物谚语}.

26.“久居则安”----「住めば都」(すめばみやこ)

27.“天无绝人之路”----「舍てる神あれば助ける神あり」(すてるかみあればたすけるかみあり)

28.“英雄出少年”----「栴檀は双叶より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)

29.“宰鸡焉用牛刀”----「大根を正宗で切るなかれ」(だいこんをまさむねできるなかれ)

30.“前门拒虎,后门进狼。”----「前门の虎、後门の狼。」(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ。)

31.“千里之行,始于足下。”----「千里の道も一歩より起こる。」(せんりのみちもいっぽよりおこる。)

32.“笑里藏刀。”----「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり。)

33.“微乎其微。”----「雀の涙。」(すずめのなみだ。)

34.“可望而不可及。”----「高岭の花。」(たかねのはな。)

35.“口若悬河。”----「立て板に水。」(たていたにみず。)

36.“一贫如洗”----「赤贫洗うが如し」(せきひんあらうがごとし)

37.“前车之覆,后车之鉴”----「前者の覆るは後车の戒め」(ぜんしゃのくつがえるは、こうしゃのいましめ)

38.“有备无患”----「备えあれば忧いなし」(そなえあればうれいなし)

39.“隔岸观火”----「対岸の火灾」(たいがんのかさい) 「川向いの火事」(かわむかいのかじ)

40.“天渊(壤)之别”----「月とすっぽん」(つきとすっぽん) 「云泥の差」(うんでいのさ)

41.“好事多磨”----「月に群云(丛云)、花に风」(つきにむらくも、はなにかぜ)

42.“画蛇添足”----「月夜に提灯」(つきよにちょうちん)

43.“水火不容”----「水に油」(みずにあぶら)

44.流水不腐,户枢不蠹----「流れる水は腐らぬ」(ながれるみずはくさらぬ。)

45.快马加鞭----「駆け马に鞭」(かけうまにむち)

{中日动物谚语}.

46.恩将仇报----「恩を仇で返す」(おんをあだでかえす)

47.子女不知父母心----「亲の心子知らず」(おやのこころこしらず)

48.对牛弹琴----「牛に対して琴を弾ず」(うしにたいしてことをだんず)/「猫に小判」(ねこにこばん)

49.亡羊补牢----「火事の後の火の用心」(かじのあとのひのようじん)

50.丢了西瓜拣芝麻----「火事の後の钉拾い」(かじのあとのくぎひろい)

中日动物谚语篇三

关于狗的中日谚语{中日动物谚语}.

犬にまつわる諺

<< 作成日時 : 2006/04/20 23:08 >>

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動物の名前を使って表現される言葉には、否定的な意味合いを持つものがある。たとえば、「狸親父」「豚児」「馬鹿」、あるいは「獣欲」「畜生」等々である。 「犬」にもそういった言葉がある。「犬侍」「犬死」「煩悩の犬」「負け犬」などである。広辞苑で見てみると、「犬」には次のような否定的な意味がある。

・ ひそかに人の隠し事を嗅ぎつけて告げる者。回し者。間者。

・ ある語に冠して、似て非なるもの、劣るものの意を表す語。また、卑しめ軽んじて、くだらないもの、むだなものの意を表す語。

犬の好きなバカ親父には、これらの「犬」の入った否定的な意味の言葉が使われるのは嫌なのだが、反面、それだけ犬が人の生活に密着して、人とともに生きてきた証拠ととらえることもできるだろう。

言葉もそうだが、人の生活や考えや文化に密接にかかわる諺(ことわざ)に、「犬」にかかわるものがいろいろある。「犬も歩けば棒に当る」「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などはよく知られているが、その他にもありそうである。

ちょっと調べてみたので、お暇のある方はご覧いただきたい。(出典は、『岩波ことわざ辞典』と『広辞苑』である)

○ 一犬(いっけん)虚に吠えれば万犬(ばんけん)吠える

(一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ、一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ)

一人がいい加減なことを言ったのを、人々がそれを真実として言い広めること。

○ 犬が西向きゃ尾は東

きわめて当たり前のことを、わざわざ事新しく言うこと。

○ 犬になっても大家(おおや)の犬 [ 犬になるなら庄屋の犬になれ。犬になるとも大所の犬になれ ]

主人となる人を選ぶなら、頼りがいのある大物がよいということ。

○ 犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ [ 犬は三日養えば三年恩を忘れぬ。犬は主人を忘れず ]

三日しか飼わない犬ですら主人に忠義を尽くすのだから、人間はなおさら恩知らずであってはならないという戒め。

○ 犬骨折って鷹の餌食(えじき)

苦労してあと少しで手に入るものを、ほかに横取りされることのたとえ。

○ 犬も歩けば棒に当る{中日动物谚语}.

① 何かをやっていれば意外な幸運に出会うこと。

② 何か行動すると災難に遭遇すること。

○ 犬も朋輩(ほうばい)、鷹も朋輩 役割が異なり、立場に上下の違いがあっても、同じ主人に仕える者は同僚だということ。

○ 飢えた犬は棒を恐れず

生活に困っている者は、危ないことも悪いこともするものだということ。

○ 兎を見て犬を放つ

① 過ちを犯しても、まだ取り返しがつくことのたとえ。 ② 状況を見極めてから対策を講じても遅くない意。 ③ 手遅れのたとえ。

○ 尾を振る犬は叩かれず

親愛の意を表する者は、攻撃されたりいじめられることはないという意。

○ 犬猿の仲

仲の悪い間柄のたとえ。

○ 狡兎(こうと)死して良狗(りょうく)烹(に)らる

どんなに役に立ったものでも、用済みのものはお払い箱になるということのたとえ。

○ 自慢の糞は犬も食わぬ

むやみに自慢ばかりする者は誰も相手にしないということ。

○ 虎を画(えが)いて狗(いぬ)に類す [ 虎を描いて猫に類す。虎を描いて狸(り)に類す ]

① 才能のない者が優れた者のまねをして失敗するたとえ。

② ものを学んだのにかえってやりそこなってしまうことのたとえ。

○ 犬の手も人の手にしたい [ 猫の手も借りたい。猫の手も人の手にしたい ] 忙しい時に誰でもいいから手伝いがほしいこと。

○ 犬が駆け出しても笑う [ 箸が転んでも可笑(おか)しい。箸のこけたにも笑う ] 日常のありふれたことに、さも可笑しいものをみたように笑い転げること。

○ 夫婦喧嘩は犬も食わぬ

夫婦の間の喧嘩を他人が仲裁するのは愚かであるということ。

○ 吠える犬は噛みつかぬ

人を脅したりやたらに威張ったりする者は、むしろ実力はなく何もできないものだというたとえ。

○ 煩悩の犬は追えども去らず

心を悩ます欲望などは追い払っても追い払っても離れないということ。

○ 孫を飼うより犬ころ飼え(孫飼わんより犬の子飼え) 孫を可愛がっても、後で孝行して貰えることは少ないから、犬を飼った方がまだましだということ。

○ 犬の糞も焼味噌も一つ [ 味噌も糞も一緒。糞味噌。味噌も糞も一つ ] きれいなものも汚いものも、良いものも悪いものもごっちゃにするたとえ。無茶苦茶なさま。

○ 羊頭狗肉 (ようとうくにく)[ 羊頭を懸(かか)げて狗肉を売る ] 外見や見てくれがよくても、内容や実質が伴っていないことのたとえ。

○ 犬に論語(犬に念仏猫に経)

道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。

○ 犬の川端歩き

いくら歩き回っても何の得る所もないこと、また金銭を所持しないで店頭をぶらつくことのたとえ。

○ 犬の遠吠え

臆病な者が陰で虚勢を張り、または他人を攻撃することのたとえ。

○ 犬も食わぬ

誰も好まず、相手にしないこと。

○ 門の前の痩犬(やせいぬ)

弱者も後援があれば強いというたとえ。

<後記>いかがでしょうか。いろいろ「犬」にまつわる諺があるものです。犬というものの性質や人とのかかわりの深さを、表しているように思えます。

犬とは、人にくっついてきて、かつ忠実で、あちこちうろつき回って、何でも食べて、吠えて、狩猟などで人の役に立つ、といったところでしょうか。

中国では犬(狗)を食べていた(食べている)ということもわかります。「犬骨折って鷹の餌食」などは鷹狩で、犬が獲物をやっと追い出しても、捕るのは鷹で、おいしいところをもっていかれる、というところから出た諺だそうです。 「犬も食わぬ」が「夫婦喧嘩」だけでなく、「自慢(の糞)」について諺になるというのも面白かったですね。

長い間の人と犬とのかかわりも再認識して、犬との付き合いをよりよいものにしたいと、改めて感じました。

<追記>06.06.08 8つ追加します。 ○ 犬一代に狸一匹

普通の人にとって大きな幸運に出会うのは、生涯のうちでそう何度もないということのたとえ。

○ 蜀犬(しょっけん)日に吠ゆ

無知な人が他人の優れた言行を疑い、怪しんでとやかく言うことのたとえ。中国の蜀地方は、高い山に囲まれ雤も多いので、日の差すことが少ない。そのため、まれに現れる太陽に、犬が怪しんで吠えることから。 ○ 脳なし犬は昼吠える

才能のないものに限って大きなことを話したり、大騒ぎをしたりするものであるというたとえ。

○ 犬兎(けんと)の争い 二人が争っているうちに、まんまと第三者につけこまれ、利益を横取りされてしまうこと。

○ 米食った犬が叩かれずに、糠(ぬか)食った犬が叩かれる 大きな悪事を働いた者は罪を逃れて、小さな悪事を働いた者が罰せられるというたとえ。また、主犯が捕まらず、共犯の小者が罰を受けるというたとえ。 ○ 飼い犬に手をかまれる

普段目をかけて世話をしてやり、恩を感じているだろうと思っていた者に裏切られたり、害を加えられたりすることのたとえ。(有名なのを忘れていました) ○ 犬馬(けんば)の労

相手のために、犬や馬のように微力ながら、ひたすら尽くすこと。(へりくだって言う) ○ 頼むと頼まれては犬も木へ登る 人に心から信頼されて頼まれれば、できないことでもなんとかしてやり遂げようという気になるものであるというたとえ。

06.06.21

2つ追加します。 ○ 赤犬が狐を追う 赤犬と狐は、どちらも毛色が似ていることから、追うものと追われるものの区別がつかないこと。善悪や優劣の判断がしにくいことのたとえ。 ○ 旅の犬が尾をすぼめる

家の中では威張っているのに、外に出たとたんに意気地がなくなるような人を冷やかして言う。

中日动物谚语篇四

中日对照谚语50条

中日对照谚语50条

1.“百闻不如一见”----「百聞は一見に如かず」(ひゃくぶんはいっけん にしかず)

2.“歪打正着”----「怪我の功名」(けがのこうみょう)

3.“青出于蓝而胜于蓝”----「青は藍より出でて藍より青し」(あおはあいよりいでてあいよりあおし)

4.“垂头丧气”----「青菜に塩」(あおなにしお)

5.:“光阴似箭”---「光陰矢の如し」(こういんやのごとし)

6.“一年之计在于春”---「一年の計は元旦にあり」(いちねんのけいはがんたんにあり)

7.“滴水穿石”---「雨だれ石を穿つ」(あまだれいしをうがつ)

8.:“功到自然成”---「石の上にも三年](いしのうえにもさんねん)

9.“满瓶不响,半瓶叮当”---「空き樽は音高し」(あきだるはおとたかし)

10.“火烧眉毛”---「足下に火がつく」(あしもとにひがつく)

11.“只知其一,不知其二。”------「一を知り二を知らず」 (いちをしりてにをしらず)

11.“一叶落知天下秋。” ------ 「 一葉落ちて天 下の秋を知る」 (いちようおちててんかのあきをしる)

12.“一年之计在于春” ------ 「 一年の計は元旦にあり」 (いちねんのけいはがんたんにあり)

13.“马后炮”------「後の祭り」(あとのまつり)“事后搞庆祝活动”

14.“八九不离十”------「当たらずといえども遠からず」(あたらずともいえどもとおからず)

15.“昙花一现”------「朝顔の花一時」(あさがおのはないちじ)

16.“岁月不待人”----「歳月人を待たず」(さいげつひとをまたず)

17.“养子方知父母恩”----「子をもって知る親の恩」(こをもってしるおやのおん)

18.“知子莫若父”----「子を知ること父に如くはなく」(こをしることちちにしくはなく)

19.“未雨绸缪”----「転ばぬ先の杖」(ころばぬさきのつえ)

20.“聪明反被聪明误”----「策士策に溺れる」(さくしさくにおぼれる)

21.“多一事不如少一事”----「触らぬ神に祟りなし」(さわらぬかみにたたりなし)

22.“千里之堤溃于蚁穴”----「千里の堤も蟻の穴から。」(せんりのつつみもありのあなから)

23.“条条道路通罗马”----「すべての道はローマに通ず。」(すべてのみちはローマにつうず)

24.“脍炙人口”----「人口に膾炙する」(じんこうにかいしゃする)

25.“笑里藏刀”----「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり)

26.“久居则安”----「住めば都」(すめばみやこ)

27.“天无绝人之路”----「捨てる神あれば助ける神あり」(すてるかみあればたすけるかみあり)

28.“英雄出少年”----「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)

29.“宰鸡焉用牛刀”----「大根を正宗で切るなかれ」(だいこんをまさむねできるなかれ)

30.“前门拒虎,后门进狼。”----「前門の虎、後門の狼。」(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ。)

31.“千里之行,始于足下。”----「千里の道も一歩より起こる。」(せんりのみちもいっぽよりおこる。)

32.“笑里藏刀。”----「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり。)

33.“微乎其微。”----「雀の涙。」(すずめのなみだ。)

34.“可望而不可及。”----「高嶺の花。」(たかねのはな。)

35.“口若悬河。”----「立て板に水。」(たていたにみず。)

36.“一贫如洗”----「赤貧洗うが如し」(せきひんあらうがごとし)

37.“前车之覆,后车之鉴”----「前者の覆るは後車の戒め」(ぜんしゃのくつがえるは、こうしゃのいましめ)

38.“有备无患”----「備えあれば憂いなし」(そなえあればうれいなし)

39.“隔岸观火”----「対岸の火災」(たいがんのかさい) 「川向いの火事」(かわむかいのかじ)

40.“天渊(壤)之别”----「月とすっぽん」(つきとすっぽん) 「雲泥の差」(うんでいのさ)

41.“好事多磨”----「月に群雲(叢雲)、花に風」(つきにむらくも、はなにかぜ)

42.“画蛇添足”----「月夜に提灯」(つきよにちょうちん)

43.“一星半点”----「爪の垢ほど」(つめのあかほど)

44.流水不腐,户枢不蠹----「流れる水は腐らぬ」(ながれるみずはくさらぬ。)

45.快马加鞭----「駆け馬に鞭」(かけうまにむち)

46.恩将仇报----「恩を仇で返す」(おんをあだでかえす)

47.子女不知父母心----「親の心子知らず」(おやのこころこしらず)

48.对牛弹琴----「猫に小判」(ねこにこばん)

49.亡羊补牢----「火事の後の火の用心」(かじのあとのひのようじん)

50.丢了西瓜拣芝麻----「火事の後の釘拾い」(かじのあとのくぎひろい)

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