两肋插刀中日谚语

来源:热门资讯 发布时间:2017-10-29 点击:

两肋插刀中日谚语篇一

中日谚语比较

53

日本人と中国人の世間観―─諺に見られる

言語表現からの検証と考察─―

黄 欣

0.はじめに

一般に、言語表現の上から、その言語を使用する民族集団の文化的特色を見 て取ることができる。特に、日常生活から生まれ、民衆の知恵の結晶として使 われてきた諺は、各民族それぞれの伝統的な物の見方・考え方を濃厚に反映し ている。元来、諺は民衆の知恵の総合とも言うべきものであることから、異な った民族の諺でも、形式から内容まで共通性をもっているものもあるが、諺は 各民族の民衆によって作り出されたものであり、各民族の歴史、地理環境、生 産活動および人々の生活習慣、思考の方式などに差異があるため、各民族の自 然観、世間観、人生観などの面にその民族固有の特性、文化の特色が見られ、 諺にそれが反映されている。本稿では、日本と中国の諺を分析し、諺に見られる

言語表現の上から両国の人々の世間観の特徴を検証し、考察していく。

なお、本稿では主として日本の諺をもとに、それと対応する中国の諺を取り 上げて比較するが、中国の諺の中でも漢民族の諺を、また特に、両国でも一般 の民衆たちによく知られ、生活の中でよく使われている諺を取り上げる。同時 に、日本と中国それぞれの独自の諺も考察の対象とする。

1.諺について

1.1. 日本の諺の定義

諺の定義については、藤沢(1960)によれば、日本の諺には広義と狭義の二 種類の定義があるとし、「広義とは、どんなことばでも、一定の形をとって、俗

間に伝唱されれば、みなことわざである」1 としている。藤沢によれば、日本語

の慣用句、歌謡、なぞは、すべて諺ということになり、「ただ一つの形容詞であ

っても、それが一定の形をとって、常にある種のことがらを形容するものとし て知られていけば、それはすでにことわざである」2 とまで述べている。 54 黄 欣

狭義の諺について藤沢は、「ある種類の教訓、警戒、風刺、またはその他の視 察経験による知識をいいあらわしたものである」3 としている。これについて、 金子(1969)は次のように説明している。

ことわざは……民衆の中からいわばおのずから生まれ出たものである。… …民衆がその体験によってみずから得た教訓なのである。……いわば、民 衆同士が肩を叩いての忠言、助言である。4

ことわざは、民衆がその実際生活の体験の中から、人間や人生に対する

批評として生み出したものであり、また逆に、人間や人生を批評する場合 にも用いられるものである。5

すなわち、諺は民衆により作り出された教訓であり、民衆同士の間の忠誡のこ とばであるが、この点について金丸(1983)は、「ことわざは、日常経験から生

まれた民衆の知恵の結晶であり、民衆の行動の指針と言えます」6 と述べている。

1.2. 中国の諺(Ñ 栌)の定義

中国では、諺は一般に“ ”とか“ ”とか、あるいは“ ”とか呼ばれ

ている。近代になって、中国の諺にも広義の定義と狭義の定義がある。広義の 諺とは、人々の話し言葉に広く伝わっている俚諺、俗語のすべてを指すという 見解であり、慣用語、歇後語などをもそれに含まれる。狭義の諺については、 近代では多くの先行研究で郭紹虞の定義が採用されてきている。郭(1948)は、 諺とは、人間の実際の経験の結果であり、美しい語彙を用いて表現され、 日常会話で、自由に使われて、人間の行為を規定する言語である。7

と定義している。80 年代に入ると、狭義の諺の定義について、いくつかの見解

が現われた。

武占坤、馬国凡(1983)は、

, , ,

, “ ”。8(諺と

は、だれにも分かりやすく簡潔で、生き生きとした韻文または短文である。 諺は、一般に口語の表現形式によって民間に広く用いられ伝えられるもの で、民衆が生活上の体験や感動を表現する一種の「既成語」である。) 日本人と中国人の世間観 55

と定義し、そして唐啓運(1981)は、

, 。9(諺

とは、熟語の一種であり、民衆の間で話し言葉として広く流布している固 定的な既成語である。)

, ……

。10(諺は、民衆の知恵の結晶であり……さまざまな経験が簡潔に、 力強く総括されたものである。)

と解釈している。これらの定義に共通していることは、諺が民衆の実際の体験 を総括したものであって、体験を伝えることを目的としているという点である。

また、温端政は、「ことわざには、もう一つ別の働きがある。それは、客観的な

事柄についての認識を伝えるという役割である」11 と述べている。

以上から、中国語において諺( )は、民衆によって作り出され、民衆の

知恵、経験、認識を広く伝え、比較的固定的であって、簡潔で口語性の強い話 し言葉であると定義することができよう。

1.3. 両国の諺の定義における共通点

両国の諺の共通点をまとめてみると、次のようになる。

① 特定の作者がなく、民衆に作り出され、経験や認識を伝えるものである

こと。

② 古くから口伝えによって伝えられてきて、継承されてきたものであるこ と。

③ 簡潔で通俗的であり、口語性が強いものであること。

④ 比較的定形性を有すること。ただし、その定形性は相対的なものであり、 構造上かなりの融通性があること。

⑤ 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多いこと。 1.4. 諺と世間観との関わり

以上述べたように、日中両国において、諺の定義には共通点が多く存在して いる。諺は社会に生活する多くの人々の共通感覚として、名も知れない民衆に より作り出され、多くの人々に用いられてきている。諺には人々が自然や社会 的実践から得た経験や認識を表わすものが多いので、諺を分析することによっ 56 黄 欣

て、自然や社会に対する人々の見方・考え方が窺い知れる。加えて、諺はその 民族の歴史や風俗、文化と深くかかわっているものが多く、その民族特有の民 族性が濃厚に反映していることによって、日本と中国の諺から両国の人々に特 有の世間観も窺い知ることができよう。

2.世間観について

人間と社会の関係について、四つの議論があると指摘されている。すなわち、 ①社会は個人の集合体であるが、個人は社会より重要な単位であると考える個 人主体論、②社会は個人の総合以上のものであると考える社会有機体論、③個 人と社会は互いに関係し合うと考える個人社会相互論、④個人と社会は対立す る概念ではなく結局は同じもの、あるいは次元の異なるものとして対置すると 考える融合論の四つである。12

2.1. 日本人の世間観

穴田(1982)は、個人と社会について日本人は、「社会は個人の総合以上のも のであるという社会有機体説のように、極端ではないにしろ、社会優位の行動 傾向を有する国民であるとされている」13 と指摘している。この日本人特有の 世間観が、諺にどのように反映されているのかについて検証してみよう。 例えば日本の諺には、次のようなものがある:

壁に耳あり障子に目あり

旅の恥はかき捨て

あとは野となれ山となれ

これらの諺からは日本人の社会に対する見方や考え方が窺い知れる。すなわち、

「壁に耳あり障子に目あり」は、日本人は行動するときに、いつも他人あるい は社会が自分をどう見ているか、社会にどう思われているかということが気に なり、自分の行動が他人の目に左右されることがあるが、ここで言う「他人」 とは身近にかかわりのある「他人」のことである。だからこそ、身近にかかわ りのある「他人」の範囲を超えた他人や社会に対しては、「旅の恥はかき捨て」 や「あとは野となれ山となれ」となるのである。

文化人類学者ルース・ベネディクトは、文化には「罪の文化」と「恥の文化」

の二つのパターンがあるとし、その書『菊と刀』において、日本文化について 日本人と中国人の世間観 57

言及し、結論として日本文化は「恥の文化」の代表であるとしている。この知 見は、現在ほぼ定着している。ベネディクトが指摘したように、日本人は行動 の根幹に常に身近にかかわりのある他人を意識し、その他人に対して恥かしい という意識が行動を起させたり止めさせたりするのである。日本人が罪の意識 よりも恥の意識を重視するのは、武士階級成立以来の伝統と幼児期から恥を強 調する教育を続けてきたためとベネディクトは見ている。この「恥」に関する 諺は、日本には相当数ある。例えば、

恥は家の病

恥の上塗り

仰いで天に恥じず

言わぬ心に恥じよ

恥を言わねば理が聞こえぬ

恥を知らねば恥かかず

恥を知る者は恥かかず

聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

などは、いずれも「恥」に関する日本人の考え方を表わしており、日本人の心 性の中には身近のかかわりのある他人に対する「恥を恐れる」という心理が根 深く存在していることが分かる。上にあげた諺のほかにも、次のようなものが ある:

石橋を叩いて渡る

「石で作られた橋であっても叩いて、大丈夫だと確かめてから渡る」という 意味である。はたから見ると滑稽な感じがするが、すべての物事に対する日本 人の用心深さがみごとに表現されている。これはやはり上に述べたように、日 本人は恥を恐れ、常に他人の目が気になり、他人に笑われないように行動する という特性がよく現われている。日本人の国民性とも思われる恥を恐れる心理 はまたいくつかの諺から見てとることができる。例えば、

転ばぬ先の杖

濡れぬ先の傘

念には念を入れ

などのようなものがそれである。

58 黄 欣

そして、社会全体を見れば、日本人は、

渡る世間に鬼はない

という世間観をもっている。すなわち、冷たいように見えても、人の情という ものはあるものである。このような楽天的な世間観は、日本の自然環境と歴史 環境に由来するものと考えられる。

日本は地理的な環境によって、古くから豊かな自然条件に恵まれてきた。周 囲を海で囲まれ、気候は海洋性気候であり、温暖、湿潤がその特徴である。こ のような気候条件は生業にすぐれた条件を与えてきた。恵まれた自然環境のも とで暮らしてきた日本人が自然に対して、自然はそのままが一番美しいとする のは当然のことであり、世間に対しても、世間には悪いことはなく、悪い人は いないと認識するのである。そして、地理的に周囲を海で囲まれ、世界から隔

てられている自然の条件によって、日本は異民族による軍事的な侵略、政治的 な支配はほとんど受けてきていない。単一民族が一つの島国に居住し、鎖国や 長い封建制度によって、社会は比較的安定していた。このことからこの日本人 独特の世間観を表わす諺が産み出されてきたのであろう。言うまでもなく、「渡 る世間に鬼はない」とは正反対に、

渡る世間は鬼ばかり

という諺もあるが、それは、世間は常に変化しつつあるものであって、よい面 だけでなく、悪い面もあるという認識が反映されている。

また、日本には次のような諺もある:

言わぬが花

見ぬが仏聞かぬが花

見ざる聞かざる言わざる

これらの諺から日本人はストレートな伝達をできるだけ避け、腹芸や以心伝心 というように非理論的な読みを重要視する志向性がうかがわれる。すなわち、 日本人の好みの中に「以心伝心」があり、あまり口数多くしゃべるのをよしと しない価値観がある。黙っていても自ら心が通じ理解し合えることが日本人の 理想なのである。

以上のほか、日本の諺には、「うそ」に関するものも尐なくない。うそは悪い 日本人と中国人の世間観 59

ものであるが、場合によって方便ともなる。方便とは仏教で衆生を教え導くた めの手段のことであるが、

うそつきは泥棒の始まり

というように、うそは偽りの最も有用な手段であり、うそをつかない習慣を養 わなければ、盗みをする恐れがあるという警告である。その一方で、 うそも方便

とか、

うそは世の宝

というように、うそをつくのはよくないが、物事が円滑に遂行していくために はうそをつくことも必要であるという、うその功能を説いている。 2.2. 中国人の世間観{两肋插刀中日谚语}.

一方、中国人は伝統を重んじる国民であるが、伝統主義は保守主義に転化し やすい。中国人は絶えず社会や経済生活に調和を見出そうとし、もっとも安全 でかつ持続性のある自己保全の方法を求める。このことによって、 , (世の中のことは冷静であってはじめてわかり、人

情は淡白であってはじめて長続きする)

(大樹のそばを離れなければ、焚く薪に困らない)

, (人への便宜は自分への便宜)

というような諺が産み出されることとなったのであろう。そして、中国人は長 い歴史の中で、社会なるものを見てきた結果、

, (世情は冷暖を見、人面は高低を逐う)

のような冷たい世間への感慨や、「世間」と「人情」をどのように把握するのか

ということについての指針が諺によって示されてきている。また、世の中で生 活していくためには、

两肋插刀中日谚语篇二

中日谚语分析

中日谚语分析

中日谚语之间的关系大致分成两种:

1、直接把中国的谚语翻译成日文。如:“百闻不如一见”——「百聞は一見に如かず」

2、中日两国的谚语各不相同,但其含义相同。如:“歪打正着”——「怪我の功名」 对第一类不必做任何解释,而对第二类,则有时要进行必要的说明。还有一些很难找到合适的对应谚语,但它有特别之处,也适当地进行介绍。

第一类

青出于蓝而胜于蓝”——「青は藍より出でて藍より青し」(あおはあいよりいでてあい

よりあおし)

光阴似箭——-「光陰矢の如し」

一年之计在于春——「一年の計は元旦にあり」

滴水穿石——-「雨だれ石を穿つ」(あまだれいしをうがつ)

只知其一,不知其二......「一を知り二を知らず」(いちをしりてにをしらず) 一叶落知天下秋——「一葉落ちて天下の秋を知る」

一年之计在于春——「一年の計は元旦にあり」

岁月不待人——「歳月人を待たず」(さいげつひとをまたず)

养子方知父母恩——「子をもって知る親の恩」

知子莫若父——「子を知ること父に如くはなく」(しく)

千里之堤溃于蚁穴——「千里の堤も蟻の穴から。」(つつみ)

条条道路通罗马——「すべての道はローマに通ず。」(つうず)

脍炙人口——「人口に膾炙する」(じんこうにかいしゃする){两肋插刀中日谚语}.

笑里藏刀——「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり)

前门拒虎,后门进狼——「前門の虎、後門の狼」

千里之行,始于足下——「千里の道も一歩より起こる」

笑里藏刀——「笑中に刀あり」(しょうちゅうにとうあり)

流水不腐,户枢不蠹——流れる水は腐らぬ(ながれるみずはくさらぬ)

{两肋插刀中日谚语}.

快马加鞭——駆け馬に鞭(かけうまにむち)

恩将仇报——恩を仇で返す(おんをあだでかえす)

子女不知父母心——親の心子知らず

照猫画虎——猫を真似て虎をかく

一丘之貉......一つ穴の狢.(ひとつあなのむじな)

放虎归山——虎を野に放つ(とらをのにはなつ)

逐二兔者不得其一(鸡飞蛋打)......二兎を追う者は、一兎をも得ず(にとをおうもの{两肋插刀中日谚语}.

はいっとをもえず)

千里之堤溃于蚁穴——千里の堤も蟻の穴から(つつみ)

画饼充饥——絵に描いた餅(えにかいたもち)

雨后春笋——雨後の筍(うごのたけのこ)

一箭双雕......一石二鳥(いっせきにちょう)

鹬蚌相争,渔翁得利——鹬蚌の争い、漁夫の利となる(いっぽうのあらそい、ぎょふの

りとなる)

一将功成万古枯......一将功成りて万骨枯る(いっしょうこうなりて、ばんこつかる) 说起来容易做起来难——言うは易く、行うは難し(いうはやすく、おこなうはかたし) 以毒攻毒——毒を以って毒を制す(どくをもってどくをせいす)

第二类

垂头丧气——「青菜に塩」(あおなにしお)

功到自然成——-「石の上にも三年」(いしのうえにもさんねん)

满瓶不响,半瓶叮当——-「空き樽は音高し」(あきだるはおとたかし)

火烧眉毛——-「足下に火がつく」(あしもとにひがつく)

马后炮——「後の祭り」(あとのまつり)“事后搞庆祝活动”

八九不离十——「当たらずといえども遠からず」“虽然没有说准,但也离得不太远。” 昙花一现——「朝顔の花一時」(あさがおのはないちじ)“短暂的美”。

未雨绸缪——「転ばぬ先の杖」

聪明反被聪明误——「策士策に溺れる」(さくしさくにおぼれる)

多一事不如少一事——「触らぬ神に祟りなし」(さわらぬかみにたたりなし) 久居则安——「住めば都」(すめばみやこ)

天无绝人之路——「捨てる神あれば助ける神あり」(天上的神很多,有的神不救你,有

的神会救你,不是所有的神都不救你)

英雄出少年——「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)

(「栴檀(せんだん)」是指“白檀”,「双葉(ふたば)」是刚刚发芽时的

两片叶。是说檀木刚刚发芽就散发香气,表示英雄人物从少年时就出众。

{两肋插刀中日谚语}.

宰鸡焉用牛刀——「大根を正宗で切るなかれ」(まさむね)(「大根(だいこん)」是萝卜,

「正宗(まさむね)」是日本传统的武士用的名刀,「なかれ」是“不要„

„做”。意思是说切萝卜不必使用高级的武士配刀。

微乎其微——「雀の涙。」(すずめのなみだ)(麻雀本身就很小,其眼泪就更少了)

可望而不可及

对牛弹琴——猫に小判(ねこにこばん)

(“小判(こばん)”是日本古代使用的金币。对于人来说是很值钱的,但

是对猫来说是没有任何价值的。和中国说的对牛弹琴是一个道理)

亡羊补牢——火事の後の火の用心(かじのあとのひのようじん)

(“火の用心(ひのようじん)”是“注意火头,防止火灾”的意思。发生了火

灾之后,要求人们注意火头,防止火灾,这和丢了羊之后,把羊圈补结实是一

样的。看来是已经受到损失,但是引以教训,也还是有意义的。

丢了西瓜拣芝麻——火事の後の釘拾い(かじのあとのくぎひろい){两肋插刀中日谚语}.

(由于日本的屋舍过去多是木材、竹子、纸、草等植物为材料,这样的房屋很

适合于潮湿的日本气候。但是火灾特别多,所以用火灾的损失来告戒人的谚语

就很多。由于不注意而失火,损失了大量财物,事后,再在灭火后的瓦砾里拣

钉子。表示对“失大拣小”的告诫。和中国的丢了西瓜拣芝麻出于一个道理)

娇生惯养——乳母日傘(おんばひがさ)

(由于生活条件优越,家里有奶妈伺候,外出有阳伞遮太阳。没有经过任

何艰苦环境的磨练,结果养成了娇生惯养的习惯。不直接说明娇生惯养,

而是说出它的条件和环境)

真人不露象,露象不真人——能ある鷹は爪を隠す

(真正有本事的人,外表不表现,在需要时才显示自己的本领。在日语在

说“有本领的老鹰平时就把利爪藏起来。”不论中国讲的人还是日本所指

的鹰,有本领的不轻易流露出来。相反,那些喜欢表现自己本领的人往往

是不太有本领的。这一类谚语也很多:中文中有:一瓶子不满,半瓶子晃

荡。半瓶子醋等等。空き樽は音高し(あきだるはおとたかし)(即空桶

在滚动时声音很大,相反,满桶不大发出声响)浅瀬に仇浪(あさせにあ

だなみ)“浅瀬”是“浅滩”,“仇浪”是“喧嚣的浪花”。说水浅时浪花很

大,但是水深时没有浪花,可是真正可怕的是深水。

这山望着那山高,家花不如野花香,家菜不香外菜香。——隣の花は赤い——人の花は赤

い———隣のぼた餅は大きく見える——家の米の飯より隣の麦飯(うち

のこめのめしよりとなりのむぎめし)“隣の麦飯”有的人总觉得别人的

东西好,觉得自己的东西不如别人的而感觉自己吃亏。羡慕别人院子的花

好看;别人家的甜饼(ぼた餅)比自己家的大;甚至自己家的米饭还不如

别人家的麦子饭好吃。这样只是羡慕别人会引起心理不平衡,导致不满,

甚至造成不好的结果。和中文的谚语但是同样的意思。

如虎添翼,快马加鞭 ——鬼に金棒(おににかなぼう)形容本来就好厉害的变得更厉害。

在日本,“鬼(おに)”是身高马大的好厉害的害人的东西(妖怪),“金棒”

是“铁棒、铁棍”。所以很厉害的鬼手上有铁棍,就更厉害了。本来鬼是

害人的,但是这个谚语可以形容好的方面。

山中无老虎,猴子称霸王。河中无鱼虾也贵。蜀中无大将,廖化作先锋。——鳥なき里の

蝙蝠(とりなきさとのこうもり)——鷹がいないと雀が王する(たかが

いないとすずめがおうする)——貂なき森の鼬(てんなきもりのいたち)

形容没有社会公认的强者,差的也来称王。“里”本来是故乡,乡下;在

这里指的是山村,如果这里没有鸟,就有蝙蝠(こうもり)来称王。天空

没有老鹰,麻雀称王。森林里没有凶猛的野兽如貂(てん)之类,黄鼠狼

(鼬——いたち)称王。

当局者迷,旁观者清——傍(岡)目八目(おかめはちもく)

(在别人下围棋时,在旁边观战,容易看清胜败局势,甚至能看到8步以

后。说没有利害关系的第三者看问题就冷静而比较正确。由于“傍”、“岡”

同音,有时可以互换)

在家是条龙,出门是条虫——内弁慶の外鼠(うちべんけいのそとねずみ)

“弁慶”是日本古代的武将,成为强者的代名词。这里是笑话那些“在家

里显得很强壮,什么都不怕的样子,可是一到外面,就象老鼠一样胆小”

的人。和这个意思一样的还有:

“内広がりの外すぼまり”(うちひろがりのそとすぼまり)在家耍威风,

到外面就缩在一起什么也不敢干。

“内弁慶の外地蔵”(うちべんけいのそとじぞう)“地蔵”是日本各地(主

要是小城镇和村庄)的路边立着的石制的僧象。在家像“弁慶”那样强有

力,而在外面就象立在路边的“地蔵”一样,一动不动。

“家の前の痩せ犬”(うちのまえのやせいぬ)很瘦的狗没有力量和凶狠

的强狗争高低,但是仗着在自家门口,就大声吼叫。

大草包——独活の大木(うどのたいぼく)“独活”是一种多年生的草本植物,中文叫“土

当归”。嫩时可以食用,可以长到2m以上,但是没有用处。形容个子很

大,但是没有能力的人。

恋恋不舍——後ろ髪を引かれる(うしろがみ)人往前走,有人在后面拉着头发。表示心

里总有牵挂,不能彻底了掉。

半斤八两——団栗の背比べ (どんぐりのせいくらべ)中国旧称是16两,半斤就是8

两,所以表示2个事物一样,没有高低。団栗(どんぐり)是“橡子儿”,

是橡树上结的果实,一个个圆圆的,都差不多大,无法比较哪个个高(せ

いくらべ=比个高),也是表示不相上下,彼此彼此。

五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)——五十步笑百步。

目くそ鼻くそを笑う(めくそはなくそをわらう)==眼屎笑话鼻屎。

大同小異(だいどうしょうい)==大同小异。

巧媳妇难为无米之炊——無い袖は振れぬ(ないそではふれぬ)再有本事的巧媳妇,没有

米也做不出饭来。古代人的袖子很长,所以有“拂袖而去”的表现。但是

如果没有袖子就无法拂袖了。如果没有,想做的事情也做不了。

無い知恵は出せぬ(ないちえはだせぬ)==没有能拿得出的智慧。

できない相談(できないそうだん)==无法进行的商谈

隔靴搔痒......二階から目薬(にかいからめぐすり)隔靴搔痒”是表示在进行无效劳

动。隔着靴子搔痒不能止痒,从二楼滴眼药水,不知道滴到哪里去了,肯

定没有效果。远水不解近渴。

天井から目薬(てんじょうからめぐすり)==“天井”是房屋的天花板,

从天花板滴眼药水,也是肯定没有效果。

遠火で手を炙る(とおびでてをあぶる)==天冷了,在火边烤手取暖,

如果用远处的火烤手,就取不了暖。

月夜に背中炙る(つきよにせなかあぶる)==想靠月亮的热烤暖脊背。

骑虎难下——乗りかかった船(のりかかったふね)在河里,乘着船,想下来也下不来。

表示前也不是,后也不是,两头为难的情况。和中国话的“骑虎难下”是

一样的。

渡りかけた橋(わたりかけたはし)走到一半的桥只能硬着头皮走下去。

两肋插刀中日谚语篇三

中日对照谚语

熟語中日文対照 来源: 辛蒼勛的日志

马后炮 ----「後の祭り」(あとのまつり)

歪打正着----「怪我の功名」(けがのこうみょう) 垂头丧气----「青菜に塩」(あおなにしお)

光阴似箭----「光阴矢の如し」(こういんやのごとし) 滴水穿石----「雨だれ石を穿つ」(あまだれいしをうがつ)

火烧眉毛----「足下に火がつく」(あしもとにひがつく)

昙花一现----「朝颜の花一時」(あさがおのはないちじ) 对牛弹琴----「猫に小判」(ねこにこばん)

恩将仇报----「恩を仇で返す」(おんをあだでかえす) 好事多磨----「月に群雲(丛云)、花に風」(つきにむらくも、はなにかぜ)

画蛇添足----「月夜に提灯」(つきよにちょうちん) 久居则安----「住めば都」(すめばみやこ)

口若悬河----「立て板に水」(たていたにみず) 快马加鞭----「駆け馬に鞭」(かけうまにむち)

脍炙人口----「人口に脍炙する」(じんこうにかいしゃする)

亡羊补牢----「火事の後の火の用心」(かじのあとのひのようじん)

微乎其微----「雀の涙」(すずめのなみだ)

未雨绸缪----「転ばぬ先の杖」(ころばぬさきのつえ) 笑里藏刀----「笑中に刀あり」(しょうちゅうにかたなあり)

四十不惑----「四十にして惑わず」(しじゅうにしてまどわず)

半近八两----「五十歩百歩」(ごじゅっぽひゃっぽ)

老而好学----「六十の手習い」(ろくじゅうのてならい) 百折不回----「七転び八起き」(ななころびやおき)

九死一生----「九死に一生を得る」(きゅうしにいっしょうをえる)

如虎添翼----「鬼に金棒」(おににかなぼう)

舍华求实----「花より団子」(はなよりだんご) 杯水车薪----「焼け石に水」(やけいしにみず)

祸从口出----「口は災いの門」(くちはわざわいのかど) 半斤八两----「団栗の背比べ」(どんぐりのせくらべ) 一贫如洗----「赤贫洗うが如し」(せきひんあらうがごとし) 一星半点----「爪の垢ほど」(つめのあかほど)

有备无患----「備えあれば憂いなし」(そなえあればうれいなし)

对牛弹琴----「猫に小判」(ねこにこばん)

「馬の耳に念仏」(うまのみみにねんぶつ)

未雨绸缪----「転ばぬ先の杖」(ころばぬさきのつえ) 临阵磨枪----「泥棒を捕らえてて縄を綯う」(どろぼうをとらえてなわをなう)

隔岸观火----「対岸の火灾」(たいがんのかさい) 「川向いの火事」(かわむかいのかじ)

一举两得、一箭双雕----「一石二鳥」(いっせきにちょう) 天渊之别、天壤之别----「月と鼈」(つきとすっぽん) 「雲泥の差」(うんでいのさ) 欲速则不达----「急がば回れ」(いそがばまわれ)

岁月不待人----「歳月人を待たず」(さいげつひとをまたず)

八九不离十----「当たらずといえども遠からず」(あたらずともいえどもとおからず)

知子莫若父----「子を知ること父に如くは無く」(こをしることちちにしくはなく)

功到自然成----「石の上にも三年」(いしのうえにもさんねん)

英雄出少年----「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふた

ばよりかんばし)

可望而不可及----「高嶺の花」(たかねのはな){两肋插刀中日谚语}.

百闻不如一见----「百聞は一見に如かず」(ひゃくぶんはいっけんにしかず)

宰鸡焉用牛刀----「大根を正宗で切るなかれ」(だいこんをまさむねできるなかれ)

天无绝人之路----「舍てる神あれば助ける神あり」(すてるかみあればたすけるかみあり)

远水救不了近火----「二階から目薬」(にかいからめぐすり)

子女不知父母心----「親の心子知らず」(おやのこころこしらず)

养子方知父母恩----「子をもって知る親の恩」(こをもってしるおやのおん)

有其父必有其子----「蛙の子は蛙」(かえるのこはかえる) 聪明反被聪明误----「策士策に溺れる」(さくしさくにおぼれる)

丢了西瓜拣芝麻----「火事の後の釘拾い」(かじのあとのくぎひろい)

一年之计在于春----「一年の計は元旦にあり」 (いちねんのけいはがんたんにあり)

一叶落知天下秋----「一葉落ちて天下の秋を知る」 (い

ちようおちててんかのあきをしる)

条条道路通罗马----「すべての道はローマに通す。」(すべてのみちはローマに通す) 三天打鱼两天晒网----「三日坊主」(みっかぼうず)

多一事不如少一事----「触らぬ神に祟りなし」(さわらぬかみにたたりなし)

青出于蓝而胜于蓝--—「青は蓝より出でて蓝より青し」(あおはあいよりいでてあいよりあおし)

{两肋插刀中日谚语}.

智者千虑必有一失----「猿も木から落ちる」(さるもきからおちる)

「弘法にも筆の誤り」(こうぼうにもふでのあやまり)

八面玲珑,四面讨好----「八方美人」(はっぽうびじん) 十人十样,各不相同----「十人十色」(じゅうにんといろ) 雪上加霜,祸不单行----「泣き面に蜂」(なきつらにはち) 满瓶不响,半瓶叮当----「空き樽は音高し」(あきだるはおとたかし)

只知其一,不知其二----「一を知り二を知らず」 (いちをしりてにをしらず)

流水不腐,户枢不蠹----「流れる水は腐らぬ」(ながれるみずはくさらぬ)

千里之堤,溃于蚁穴----「千里の堤も蟻の穴から」(せん

两肋插刀中日谚语篇四

中日对照谚语

中国語 1. 愛不釋手 2. 愛財如命 3. 愛莫能助 4. 百孔千瘡 5. 白手起家 6. 百依百順 7. 半斤八兩 8. 閉関自守 9. 閉門造車 10. 変本加勵 11. 別出心裁 12. 不打自招 13. 不堪設想 14. 不可救藥 15. 不求甚解 16. 不勝枚舉 17. 不速之客 18. 不知所云 19. 不自量力 20. 不足為奇 21. 惨不忍睹 22. 草草了事 23. 粗心大意 24. 長篇大論 25. 趁熱打鉄 26. 乘風轉舵 27. 痴人説夢 28. 重見天日 29. 重温旧夢 30. 重整旗鼓 31. 初出茅廬 32. 出人頭地 33. 穿針引線 34. 唇齒相依 35. 大材小用 36. 大吹大擂 37. 大公无私 38. 大庭广衆 39. 胆小如鼠 40. 道听途説 41. 得寸進尺 42. 得心應手 43. 得意忘形 日本語

気に入って手放せない 守銭奴、金だけが命 力になりたくともなれない 傷だらけ、欠陥だらけ 一代で財を築いた 言いなり、言うがまま どんぐりの背比べ 孤立する

自分勝手なやり方 激しさに輪をかける

新機軸を打ち出す、新しいアイデアを出す語るに落ちる、自分から白状する 考えるだに恐ろしい

つける薬がない、救いようがない 大体わかれば満足 枚挙にいとまがない

招かれざる客、歓迎されない人 わけが分からない 自分の実力を顧みない 別に不思議ではない 悲惨で見ていられない いいかげんに済ます おおざっぱで不注意 長広舌をふるう 鉄は熱いうちに打て 機を見るに敏 たわごとを言う 再び日の目を見る 夢よもう一度 体勢を立て直す 駆け出しで経験がない 人に一歩先んじる 手引きをする 運命共同体

有能な人につまらない仕事をさせる 手前味噌を並べ立てる 公平無私

公開の場所で、公衆の面前で ひどく臆病である

受け売りで話す、聞きかじり つけあがる、満足を知らない 実力を思うままに発揮する 有頂天になる、舞い上がる

44. 洞若観火 45. 翻天覆地 46. 飛黄騰達 47. 甘拜下風 48. 隔岸観火 49. 格格不入 50. 狗急跳墻 51. 孤注一擲 52. 顧名思義 53. 鬼使神差 54. 裹足不前 55. 海闊天空 56. 好景不長 57. 好大喜功 58. 狐假虎威 59. 虎口余生 60. 華而不實 61. 化為烏有 62. 換湯不換藥 63. 揮金如土 64. 鷄毛蒜皮 65. 集思广益 66. 家常便飯 67. 家喩戸曉 68. 嬌生慣養 69. 叫苦連天 70. 借題發揮 71. 近水楼台(先得月)72. 進退兩難 73. 絶路逢生 74. 開門見山 75. 苦口婆心 76. 濫芋充数 77. 牢不可破 78. 力不从心 79. 力争上游 80. 令人髪指 81. 屡見不鮮 82. 門当戸對 83. 面紅耳赤 84. 名不虚傳 85. 明知故問 86. 目空一切 87. 能説会道

火を見るより明らか

上を下への大騒ぎ、天地を覆すような... とんとん拍子に出世する

風下に甘んじる、素直に負けを認める 対岸の火事 互いに相容れない

窮鼠猫を噛む、火事場の馬鹿力 乾坤一擲、いちかばちか 文字通り、名前から考えて

神仏の引き合わせ、不思議な力に導かれたよう 二の足を踏む、しり込みをする 気宇壮大である

好事魔多し、良い時期は長く続かない

功名心にとらわれている、 大きな仕事で手柄を立てようとする虎の威を狩る狐 九死に一生を得る

見かけばかりで実質が伴わない うやむやにする、なかったことにする 形だけ変えて中味は同じ 湯水のごとく金を使う 取るに足らぬ小さな事 衆知を集める

日常茶飯事、ありきたり

知らぬ者なし、津々浦々に知れ渡っている 蝶よ花よと甘やかして育てられる 苦しみを訴える、苦しみにあえぐ 事にかこつけて自分の意見を述べ立てる 役得、利益を得やすい地位にある

進退窮まる 地獄で仏 腹を割って話す 老婆心ながら忠告する 枯れ木も山のにぎわい 難攻不落

力不足で思うに任せぬ 常に向上心を持って頑張る 激しい怒りを覚えさせる

見慣れている、なれっこで珍しくもない (結婚相手と)家柄が釣り合う 真っ赤になる、赤面する その名に恥じぬ

知っていながらわざと尋ねる 眼中に人なし、ひどく傲慢 話がうまい、弁が立つ

88. 藕断絲連 腐れ縁が切れない、切れたようで裏ではつながっている 89. 旁観者清,当局者迷 岡目八目

90. 迫不得已 91. 破鏡重圓 92. 棋逢敵手 93. 旗鼓相当 94. 恰到好処 95. 千真万確 96. 軽儿易舉 97. 屈指可数 98. 取長補短 99. 人浮于事 100. 如釋重負 101. 若无其事 102. 設身処地 103. 生搬硬套 104. 生呑活剥 105. 十全十美 106. 事倍功半 107. 適可而止 108. 守口如瓶 109. 束之高閣 110. 水洩不通 111. 死里逃生 112. 聳人听聞 113. 啼笑皆非 114. 体貼入微 115. 天衣无縫 116. 甜言蜜語 117. 听天由命 118. 同室操戈 119. 突飛猛進 120. 外強中干 121. 玩世不恭 122. 望塵莫及 123. 微不足道 124. 瓮中之鼈 125. 无微不至 126. 物以類聚 127. 席不暇暖 128. 先發制人 129. 現身説法 130. 心服口服 131. 信口開河

万やむを得ず よりをもどす

好敵手に出会う、よいライバルを得る 実力が伯仲している、互角である

ちょうどよい、ちょうどピッタリである、頃合いの 絶対に間違いなし 朝飯前

屈指の、有数の

相手の良いところに学ぶ、 人の長所を取り入れて自分の短所を補う人余り、労働力過剰 肩の荷を降ろす

何事もなかったかのように 人の立場に立って考える 考えもなく他人のやり方をまねる 鵜呑みにする 完全無欠

労多くして効少なし

適当なところでやめる、ほどほどにしておく 貝のように口をふさぐ 棚上げにする 水も漏らさぬ 九死に一生を得る 耳目を驚かす、人騒がせな 笑うに笑えず泣くに泣けない

かゆいところに手が届く、非常に行き届いた世話 完璧でいささかの隙もない うまい話、甘言、甘いささやき 天命にまかせる、運にまかせる 仲間割れ、内輪もめ、身内どうしが争う 飛躍的に進歩する、めざましく発展する 見かけ倒し

世間を甘く見ている 足元にも及ばない 取るに足らない 袋の中の鼠 至れり尽くせり 類は友を呼ぶ

席の温まるひまもない 先んずれば人を制す

経験者は語る、自分の経験を以て人を諭す 完全に納得し感服する、 全くその通りと感心する 口から出任せを言う

132. 行尸走肉 133. 虚張声勢 134. 一命嗚呼 135. 一筆勾銷 136. 以身作則 137. 倚老賣老 138. 有眼无珠 139. 雨后春笋 140. 賊喊捉賊 141. 争先恐后 142. 紙上談兵 143. 轉彎抹角 144. 追根究底 145. 自告奮勇 146. 自命不凡 147. 自討苦吃 148. 左右為難 149. 坐吃山空 150. 坐立不安

生ける屍 虚勢を張る おだぶつになる

チャラにする、なかったことにする、 帳消しにする、ご破算にする 率先垂範、自ら手本となる 年寄り風を吹かせて威張る 目が節穴 雨後の竹の子 盗人猛々しい 我がちに先を争う 机上の空論

話が回りくどい、遠回しに話す 根ほり葉ほり聞く、とことんまで調べる

自ら進んで申し出る、積極的に仕事を買って出る 自分を買いかぶる、非凡だとうぬぼれる しなくてもいい苦労を背負い込む

あちら立てればこちらが立たず、板挟み、 ジレンマに陥る 座して喰らわば山をも空し、 働かず使う一方では財産がなくなる いても立ってもいられない

中国語

娶了懶媳婦,窮了一輩子 好事不出門,坏事傳千里 顧此失彼 過河拆橋

雨后送傘/后悔莫及 不打不成交 車到山前必有路 寧走一歩遠,不走一歩険 一波未平 , 一波又起 能人頭上有能人 如虎添翼 高不成低不就 打不知痛,罵不知羞 成者王侯,敗者賊 銭断情也断 手里没銭活死人

路上説話,草里有人 / 隔牆有耳 忍無可忍 看景不如聴景 不懂装懂永世飯桶 百会百窮

只見樹木,不見森林 苦尽甘来

日本語

1. 悪妻は百年の不作 2. 悪事千里を走る

3. あちらを立てればこちらが立たぬ 4. 後足で砂をかける 5.

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